高齢化と闘う小さな町:新潟県長岡市“支え合い”最前線

最終更新日 2025年6月18日

日本の多くの地方都市がそうであるように、私が生まれ育った新潟県長岡市もまた、静かに、しかし確実に進む高齢化の波と向き合っています。

「自分の故郷も、いつかはこうなるのだろうか」。
そんな漠然とした不安を抱えながら、この記事を読んでくださっている方もいらっしゃるかもしれません。

私は、地元紙の記者として30年以上、この町の変化を見つめ続けてきました。
フリーランスに転向してからは、より深く地域の暮らしに分け入り、人々の声に耳を傾けています。

これは、単なる高齢化問題のレポートではありません。
厳しい現実の中で、人々がどう知恵を絞り、手を取り合って暮らしているのか。
その最前線にある“支え合い”の姿から、これからの地域社会を生きる私たちへの、確かなヒントを見つけ出すための記録です。
この町に生きる一人の人間として、その温もりと力強さをお伝えできればと思います。

長岡市が直面する高齢化の現実

長岡の町を歩いていると、ふと時の流れの速さを感じることがあります。
かつて子供たちの声が響いていた路地は静まり、シャッターを下ろしたままの商店も珍しくなくなりました。

これは、私の感傷だけではありません。
数字は、その現実を静かに、しかし明確に示しています。

人口構成の変化とその影響

2020年の時点で、長岡市の高齢化率(65歳以上の人口が占める割合)は31.6%でした。
これは全国平均を上回る数字であり、市の推計によれば、2050年には41.1%に達すると予測されています。

特に深刻なのは、私が暮らす中心市街地と、山々に抱かれた周辺地域との間に広がる格差です。

地域高齢化率(2022年10月時点)
長岡市全体31.87%
中心業務核都市圏27.06%
周辺圏域(旧栃尾市など)44.76%

この数字は、医療や介護、日々の買い物といった生活基盤が、住む場所によって大きく異なることを意味しています。

限界集落化する周辺地域

市町村合併を経て広大になった市域の、特に中山間地域では、過疎化が深刻です。
2004年の中越地震で甚大な被害を受けた旧山古志村などは、人口が大きく減少し、「限界集落」という言葉で語られることも少なくありません。

冬になれば、深い雪に閉ざされる土地です。
そこに住み続ける人々の暮らしは、常に自然の厳しさと隣り合わせにあります。

若者の流出と地域経済の疲弊

そして、もう一つの大きな課題が、若者の流出です。
高校や大学を卒業すると、多くが首都圏へと活躍の場を求めていきます。

活気ある若者が減ることは、地域の担い手不足に直結し、祭りや地域の共同作業といった文化の継承をも難しくします。
地域経済が活力を失っていく、静かな疲弊。
それが、今の長岡が抱える偽らざる姿なのです。

「支え合い」が生まれる背景

しかし、こうした厳しい現実があるからこそ、この土地には古くから受け継がれてきた確かな営みがあります。
それが「支え合い」の文化です。

それは決して特別なことではなく、日々の暮らしの中に溶け込んでいます。

雪国特有の助け合い文化

私が子供の頃、冬になると近所の男たちが寄り合い、屋根の雪下ろしをするのは当たり前の光景でした。
「今日はうちの番」「明日はお前のところだ」。
この、労働力を貸し借りする相互扶助の仕組みを、このあたりでは「結(ゆい)」と呼びます。

一人ではとても太刀打ちできない豪雪という厳しい自然環境が、人々を固く結びつけ、「お互い様」の精神を育んできたのです。
この「結」の精神こそが、現代の長岡における支え合いの原点と言えるでしょう。

地域コミュニティの歴史と変遷

長岡の歴史は、幾度とない災害からの復興の歴史でもあります。
特に2004年の中越地震は、多くの住民に筆舌に尽くしがたい苦難をもたらしました。

しかし、あの困難な日々の中で、人々は互いの無事を確かめ合い、避難所で身を寄せ合い、励まし合ってきました。
当たり前の日常が失われた時、最後に頼りになるのは、やはり隣にいる人の存在なのだと、誰もが痛感したのです。

この経験が、地域の絆を一層強いものにしたことは間違いありません。

見守りと声かけ:日常に根付く連帯

「支え合い」は、大げさな活動ばかりではありません。
むしろ、その本質は日常の何気ない風景に宿っています。

  • 郵便配達員が、新聞受けにたまった新聞を見て、役場に連絡する。
  • ゴミ出しのついでに、「変わりないかい?」と声をかけ合う。
  • 回覧板を届けながら、お茶を一杯飲んで世間話をする。

こうした小さなつながりの一つひとつが、見えない網の目のように地域を覆い、誰かの孤立を防いでいるのです。

最前線の取り組みと担い手たち

古くからの文化に加え、現代の課題に対応するための新しい仕組みも生まれています。
行政と民間が連携し、この町で暮らし続けるためのセーフティネットを築こうと奮闘する人々がいます。

地域包括ケアの現場から

長岡市では、医療や介護、生活支援を一体的に提供する「地域包括ケアシステム」の構築が進められています。
その拠点となるのが、市内に複数設置された「サポートセンター」です。

ここでは、社会福祉法人などが中心となり、24時間体制の相談窓口や、地域住民が集える交流スペースの運営などが行われています。
専門家と地域住民が手を取り合い、高齢者の在宅生活を支える、まさに最前線です。

ボランティアと民間団体の活躍

行政だけでは手の届かない、きめ細やかな支援を担っているのが、ボランティアやNPO法人の存在です。

「雪下ろしが困難な高齢者世帯に、ボランティアを派遣する」
(長岡市社会福祉協議会)

「有償ボランティア制度を立ち上げ、地域外からも担い手を募り、除雪作業を行う」
(NPO法人 中越防災フロンティア)

こうした団体の地道な活動が、多くの高齢者の暮らしを守っています。

「助ける側」もまた高齢者:二重構造の現実

しかし、その担い手不足は深刻な問題です。
特に、体力が求められる除雪作業などでは、活動するボランティア自身もまた高齢者である、というケースが少なくありません。

いわゆる「老老支援」と呼ばれるこの構図は、いつか支える側が支えられる側に回るという、避けられない現実を私たちに突きつけます。
これは、助ける側もまた高齢者であるという、この町の支え合いが抱える、もう一つの顔なのです。

小さな町の大きな知恵

課題は山積しています。
しかし、この町の人々は、ただ手をこまねいているわけではありません。
限られた資源の中で、ささやかでも確かな希望を生み出す知恵が、ここにはあります。

高齢者による高齢者支援の工夫

「老老支援」は課題であると同時に、一つの可能性も示しています。
元気な高齢者が、少しだけ助けを必要とする同世代の仲間を支える。
それは、支援される側の安心感につながるだけでなく、支援する側にとっても大きな生きがいとなります。

「誰かの役に立っている」という実感。
それこそが、最高の介護予防なのかもしれません。

地場産業と連携した就労支援

中山間地域では、高齢者が長年培ってきた農業の知識や技術を活かす取り組みも始まっています。
例えば、手間暇かけて作られた山菜や野菜の付加価値を高め、ブランド化して販売する。

それは、単なる収入確保にとどまりません。
働く場があり、役割があることの喜びが、日々の暮らしに張りを与えているのです。

雪下ろし・買い物支援など、生活を守る仕組み

この町で安心して暮らし続けるために、様々な生活支援の仕組みが試みられています。

  1. 雪下ろし支援:行政からの補助金に加え、社会福祉協議会やNPOが、無償・有償のボランティアを派遣する多層的な体制を整えています。
  2. 買い物支援:スーパーが遠い地域では、NPOや民間事業者が移動販売車を走らせたり、注文を受けて商品を配達したりするサービスが根付いています。
  3. 見守りネットワーク:地域の様々な事業者(郵便局、金融機関、宅配業者など)が協力し、業務中に高齢者の異変に気づいた際に通報する協定を結んでいます。

一つひとつは小さな取り組みかもしれません。
しかし、それらが組み合わさることで、この町の暮らしは、かろうじて守られているのです。

川辺俊一の目に映る長岡

記者として、そして一人の生活者として、私はこの町で多くの人に出会ってきました。
取材の現場で特に心に残っているのは、厳しい暮らしの中にも、ささやかな日常を慈しみ、守り抜こうとする人々の姿です。

取材の現場で出会った“誇り高き日常”

以前、山あいの集落で一人暮らしをするおばあさんの家に、雪下ろしの取材で同行したことがあります。
作業を終え、囲炉裏端でご馳走になった漬物の味は、今も忘れられません。

「何もないところだけど、春になればフキノトウが出て、夏は畑のキュウリがうまい。ここで死ぬのが一番だて」

彼女の言葉には、都会の豊かさとは違う、この土地で生き抜いてきた者だけが持つ、静かな誇りが満ちていました。

「語られなかった記憶」に光を当てて

フリーになってから、私はそうした人々の「語られなかった記憶」に、より深く耳を傾けるようになりました。
新聞記者時代は、どうしても大きな事件や出来事を追いがちでした。

しかし、本当に大切な物語は、日々の何気ない暮らしの中にこそ埋もれている。
そう気づかせてくれたのは、この町で出会った名もなき人々です。

風景に染み込んだ人の営み

夕暮れ時、田んぼ道を一人歩いていると、遠くの家の窓に明かりが灯るのが見えます。
あの明かりの一つひとつの下に、それぞれの人生があり、喜びや悲しみを抱えながら、今日という一日を終えようとしている人々がいる。

そう思うと、このありふれた風景が、途方もなく愛おしく感じられるのです。
人の営みとは、こうして風景に染み込んでいくものなのかもしれません。

もちろん、私が愛するこうした風景とは別に、今の時代ならではの視点で新潟の魅力を切り取る新しい動きも生まれています。
最近の若い世代は、私たちが気づかなかったような町の表情を捉え、発信しているようです。
例えば、食や文化など、洗練された新潟のハイエンドな魅力を伝える試みもあり、こうした新しい光が、伝統的な暮らしと交差することで、この土地の未来はより豊かになるのかもしれない、と密かに期待しているのです。

まとめ

ここまで、私の故郷・長岡市が直面する高齢化の現実と、そこで生まれている「支え合い」の姿についてお話ししてきました。

最後に、この記事でお伝えしたかったことを、改めてまとめさせてください。

  • 長岡市は、高齢化や若者流出という厳しい現実に直面している。
  • しかし、雪国特有の「結」の文化や、災害を乗り越えた絆が、支え合いの土台となっている。
  • 行政、NPO、そして住民自身が担い手となり、暮らしを守るための多様な取り組みが生まれている。
  • そこには、「老老支援」という課題と同時に、高齢者が役割を持つことの喜びという希望もある。

この物語は、決して遠い雪国の町の特殊な話ではありません。
日本中の多くの地域が、これから同じ道を歩むことになるでしょう。

だからこそ、長岡の小さな町で育まれている知恵と温もりは、あなたの町にとっても、そして私たち一人ひとりにとっても、「明日の自分の町」を考える上での、大切な道しるべになるはずです。

この記事が、あなたの心に何か小さな光を灯すことができたなら、書き手としてこれ以上の喜びはありません。

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January 31, 2025 - In ビジネス

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